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活動レポート
乳幼児期の子どもの育ちや、働く保護者にさまざまな影響を与えてきた待機児童問題。2010年代、施設数が大幅に増えてもなかなか解決しなかったこの課題が、今大きな転換期を迎えようとしています。
定員に満たない保育園があちこちに現れ始める、“待機児童ゼロ”時代の到来です。
「いよいよ園が淘汰され始める」と危機感を強める運営事業者も多いなかで、2021年6月『あたらしい保育イニシアチブ』は立ち上がりました。その目的は、保育関係者が寄り集まり、対話を通じて既存の事業や制度にとらわれない「新たな保育ビジョン」を描くこと。
キックオフイベントとして開催されたのは、東京大学名誉教授・汐見稔幸先生、厚生労働省子ども家庭局保育課長・矢田貝泰之さん、全国小規模保育協議会理事長・駒崎弘樹さんによるトークセッションです(ファシリテーター:ぬくもりのおうち保育代表・上野公嗣さん)。
まずは冒頭、3人による現状の整理がプレゼンテーションされたのち、園が今後どのような保育を行なっていくべきかの議論がなされました。
ここ数年で、地域によって差はありながらも「いよいよ待機児童が減ってきた」と肌で感じている保育関係者は多いでしょう。今回の『あたらしい保育イニシアチブ』発起人でもある駒崎さんからは、そうした状況の整理が最初に行われました。
東京都に限って言えば、2021年4月時点の待機児童数は、2017年に比べて9割近い減少(8556人→速報値で1000人以下)。全国で見ても毎年数千人ペースで減っており、このまま続けばあと3年で、年度始めの待機児童が0になる可能性が見えてきます。
駒崎:「これに伴って、施設の『定員充足率』も年々下がってきています。想像以上に早いペースで事態が進行しているため、多くの方がその準備をできていない。“ポスト待機児童時代”が目の前に来ている危機感をもっと皆で持ち、どうするか議論していかなくてはいけないと考えています」
こうした状況を、行政としてはどう捉えているのか。厚労省の矢田貝さんは、2021年度から始まった『新子育て安心プラン』の概要を説明します。
このなかでは、引き続き保育の受け皿の整理に努めつつ(4年間で14万人)、「①地域の特性に応じた支援」「②魅力向上を通じた保育士の確保」で、まずは待機児童の早期解消を目指していくことが示されています。
同時に、「③地域のあらゆる子育て資源の活用」を通じて、より細やかなサポートを子どもや保護者に行なっていく方向性も提示。地域におけるさまざまな子育て機能を強化する一方で、保育所が従来の役割に止まらず、持つ資源を「在園児以外にも生かしていくこと」も想定されていると言います。
矢田貝:「今年5月から始めた『地域における保育所・保育士のあり方』の検討会でも、孤立する子育て世帯に対する保育の専門性を生かした支援や、障害を持つ方や外国籍の方などのニーズへの対応が課題として挙がっています。
これまでの保育所は、主に自園に通うお子さんや保護者に対して、豊かなノウハウで支援をしてきました。人口減少が進むなかで、そうした資源を地域のなかで苦しんでおられる方々にも提供していくことが、今後の大きな方向性になると考えられます」
さらに汐見先生も冒頭、保育園が向かうべき方向をいくつか示します。
まずは施設の機能を強化し、より多様なニーズを受け入れていくこと。そして、園を一定の条件を満たさないと入れない場所から、希望する人は誰でも入れるようにする「義務教育化」です。
汐見:「義務教育化は、OECDのなかでも次のテーマとして注目されているものです。保育のニーズがあるからやるのではなく、子どもの学ぶ権利、育つ権利を大人がきちんと保障していく。もちろん、園児数の減った園の運営を支える意味でも、大いに議論が必要だと考えています」
そして、地域づくりの機能を分担していくことが、やはり保育園の大きな可能性だといいます。例えば「子ども食堂」の取り組みを園内でやったり、さまざまな地域イベントの場として提供したり。
あるいは今後増えていく高齢者介護についても、保育園がその機能を一部担っていくなかで「子どもたちと高齢者に、相互的な効果が生まれる取り組みができるのではないか」との提案がなされました。
今回のトークイベントを主催する『あたらしい保育イニシアチブ』では、2030年に向けた保育ビジョンとして、『保育園から「地域おやこ園」へ』のビジョンを掲げています。
そのなかで考えている大きな4つのコンセプトについて、駒崎さんは2人の主張に同意しながら、以下のように説明していきました。
駒崎:「まずは『地域のすべての子どもたちに開かれた存在に』なること。在宅での子育て家庭も含めて、多様な通い方をできる場所になってはという提案です。週に1回通う子もいれば5回通う子どももいる、グラデーショナルな形での受け入れができないかと考えています。
また、『誰ひとり取り残さないように』は、まさに障害や疾患のある子どもなど、さまざまな状況を包摂するような存在になることを意味します」
駒崎:「『自らコミュニティを生み出す装置に』は、保育園にある豊かさを地域とのつながりのなかで発揮していくことです。なかなかそうならず内に閉じてしまっている状況から、どれだけ地域に開いていけるか。
最後の『ネットワークを形成していくハブに』では、保育園単体で子育てを支えるのではなく、例えば療育施設や訪問看護ステーションと連携を取りながら、子どもの個別計画を作っていくことなどを考えています」
では、保育園が実際に「地域おやこ園」になったとして、具体的にどのような機能を担う存在になるのでしょうか。
イニシアチブでは、一時保育から療育児(医療的ケア児)への保育、アウトリーチ(要支援家庭への訪問支援)、児童発達支援事業、産後ケア、休日のコミュニティスペース開放まで、多岐に渡る可能性を考えています。
一方で、子どもの権利が脅かされるような町の事象について積極的に意見を表明したり、性教育や市民教育を保育園でやったりすることも、広い意味で子どもを支える大切な役割になるはずだと駒崎さんは話します。
駒崎:「汐見先生や矢田貝さんのお話と、基本的に違いはないのかなと考えています。ただこれには、今の制度では対応できないこともたくさん含まれているんです。
例えば『保育の必要性認定』という基準がある限り、すべての子どもたちを受け入れることはなかなか難しい。また、『施設の目的外使用禁止』のルールがあることで、園では保育事業以外を行なうことが基本的にできなくなっています」
他にも、そもそも保育事業と地域子ども・子育て支援事業が別の法律で動いていること、人口減少した場合の小規模保育園への転換ができないこと、週5勤務の職員でないと『処遇改善』の算定要件に入らないなどのハードルが挙げられます。それを乗り越える提言をしていくことが、これからの保育施設の運営者には必要ではないかと説明しました。
こうした駒崎さんの提案に、汐見先生は深く頷きます。そして今回の指摘を受け、“3つの大きな変化”が保育界に求められていることを再確認したと話します。
1つは、“制度の変化”です。汐見先生はもともと学校教育を専門にしていたなかで、ご自身の子育てを通じて「保育園の重要性」を実感。そこから研究分野を保育に変えたとき、当初から疑問に思っていたのが「保護者の就労を必須とする」利用規定でした。
働いていなくても子育てに苦労している保護者は、当時から多くいた。だからこそ、どんな方でも園を活用できるよう「施設利用の制度を変えるべきだ」とずっと主張をしてきたと言います。
汐見:「ただし、多様な子どもたちを受け入れられるよう制度を変えるには、もう1つ大きな変更が迫られます。それが、“保育のやり方の変化”です。
集まった子どもたちに何かを一斉にさせる活動では、どうしても個々の家庭の事情に応じることができません。でも、実際は午前だけでいい子どももいれば、夕方から来る子どももいます。
その細かなニーズに向き合うならば、どんな子どもでも『環境のなかで主体的に遊べる』ような保育に変えていく必要がある。それは今注目されているように、子どもたちの育ちにとって、すごく大切な寄り添い方なんですね」
もちろん、生まれる新たなニーズに対応してばかりでは、保育現場の負担は一方的に増えてしまいます。“保育のやり方の変化”には、「やらないこと」の決断も含まれていると汐見先生は説明します。
汐見:「私が知っているある園には、合わせて10カ国の子どもたちが通っていて、障害児もかなり在園しています。けれど特に加配をすることなく、先生方は保育をしているんですね。それができる理由として、1つは保育士が子どもたちを信頼して任せ、子ども同士上手に支え合える関係性をつくっていったことがあります。
もう1つは、運動会など個々の能力の違いがはっきり現れる行事を止めたこと。これによって日々の保育に先生方が専念でき、ずいぶん楽になったと聞いています。保育の原点に戻って、活動を考え直すことがとても大事だと言えますね」
こうした転換を行なうためには、私たち大人一人ひとりが過去に囚われない発想をしていく必要があります。求められる変化の3番目、“頭の切り替え”です。
“頭の切り替え”のためには、社会の移り変わりに伴う大きな議論を知っておく必要があります。例えば、今の子どもたちが社会で活躍する20〜30年後を見据えた「学び」のあり方。そこには、AI社会における生き方、働き方などの問題も含まれてくるでしょう。
沸き起こる急激な変化に対して、さまざまな形で現れるのが「新しいニーズ」です。それを感じ取りながら、一人ひとりに対応していくのが保育の仕事だと汐見先生は話します。
変化の時代に求められる、一人ひとりに応じた保育の形。汐見先生の整理に駒崎さんも「お題目ではなく、きちんと個別化を進めていく必要がある」と述べ、いくつかの事例を紹介します。
例えば、学校教育における『経済産業省「未来の教室」プロジェクト』。タブレットを活用した「個別学習」や、子どもたち同士の「グループ議論」を重ねていくことで、探究的な学びを目指す取り組みです。
駒崎:「同じように就学前の教育でも、園の活動に子どもたちを合わせていくのではなく、『一人ひとりの子どもに合った保育』を園が提供していかなくてはいけないのだと思います。
そのために、汐見先生が“頭の切り替え”とおっしゃったような、大きな発想の転換していかなくてはいけない。特に運営事業者のマインドの変化が求められていると感じます」
汐見:「フランスにある、フレネ学校の事例も参考になるでしょう。異年齢クラスで授業を行なう小学校で、その日どんな活動をするかを子どもたち自身が決めています。一人ひとりが自分に合ったペースでじっくり学ぶ。まさに『個別化』ですね。
この教育のもう1つの特徴が、『協働化』です。互いにわからないところを教え合ったり、自分の表現活動や研究について質問し合ったりする。自分たちで決めていくと『勝手なことをするのでは』と思うかもしれませんが、そんなことはなく、自分で選んだからこそ意欲的に取り組んでいるんです」
保育でも、この「個別化」「協働化」は大切な原理となるのではと語る汐見先生。他者との豊かな関わりのなかで、自分がどんな人間か、何をしたいのかを知っていくための重要な視点だといいます。
また、矢田貝さんもポスト待機児童時代を考えていく際に、こうした「質」を考える議論が一層求められると指摘。それを叶えるためのサポートを、行政としていきたいと話します。
矢田貝:「待機児童の解消が見えないときは、どうしても『数』の充足が求められます。もちろん『質』に関する検討もしてきましたが、今のような幼児教育の重要性に対する議論をもっと深くできるよう、時間や資源を割く必要性を改めて感じました。
一方で、保育所側からは『今すでにギリギリのところでやっている』という話もお聞きします。地域のなかで新しい役割を担っていただくには、忙しくて仕事がパンパンに膨れ上がっている現状を踏まえ、さまざまな財源的・制度的支援が必要になる。保育士さんそのものに対する支援も、より充実させていかなくてはと考えています」
“頭の切り替え”を行い、“保育のやり方の変化”を模索する。そして、“制度の変化”を促す。それらを合わせて行わないと、「過去にこだわっていては大変になるばかり」と汐見先生も同意します。
では、大きな方向性が共有されたうえで、ポスト待機児童時代に、それぞれの自治体や保育施設でできることには、どのようなものがあるのでしょうか。議論の後半では、より具体的な制度設計や運営のあり方について語られていきます。
【あたらしい保育イニシアチブ キックオフイベント「レポート後編」】を読む
“ポスト待機児童”時代、保育園に何ができるのか——あたらしい保育ビジョンを語る【後編】
(構成・執筆/佐々木将史)